社会学はなぜ嫌われているのか

私の専攻は社会学であるため、実際の友人などに、社会学について聞くと、十中八九「知らない」と帰ってくる。

しかし、Twitterなどではそうでもない。例えば、「社会学」などというワードで検索をすると、他の学問と比べると否定的な意見が目立つ。私からしたら無関心なよりはうれしいが、なぜ社会学は他の学問と比べても否定的な考えを持たれがちなのだろうか。

 

やっていることの曖昧さ

大きなものとして、やっていることがよくわからない、ということがあるように思う。もちろん社会について学ぶ学問であることは間違いないのだが、じゃあ社会って何なの?と思われる。

まだ、「経済」とか、「法」などはイメージができると思う。具体的なものがあるからである。例えばGDPであったり、法律や憲法がそうだろう。

ただ、社会というのはとても抽象的なものだし、地域社会、村社会、国際社会など、様々な「社会」が存在する。だから、イメージが湧きづらいのだと思う。

私も社会学を専攻する前は、社会学って何するの?と思っていた。私の場合はむしろそれが社会学への好奇心へとつながっていったが。

ただ、やっていることはシンプルで、統計などの具体的なデータをもとに、対象とした社会を分析するだけだ。そうなると、やはり対象が広すぎることが社会学という学問をわかりづらくしているのだと思う。

 

コメンテーターとしての社会学

他には、コメンテーターとして社会学者がテレビ番組などに起用されることがあるという点が挙げられる。先述したように、社会学が対象とする社会には様々なものがある。

だから、社会学者であっても、社会のことならなんでもおまかせ、というわけではない。地域社会を専門としている学者に、国際社会はどうなっているのか、と尋ねても困るだろう。

そのため、テレビで社会学者としてコメントをしている人の内容の多くは、「社会学者」としてのコメントではなく、ちょっと賢い一般人のコメントと何ら変わらないのだと思う。もちろん社会学独特の視点で物事を考えてはいるのだろうけれど、毎回、対象のトピックに非常に詳しいというわけではないのである。

また、社会というのは我々に密接である。だから、曖昧な発言をすれば、すぐに違和感を持たれる。例えば、数学者がメディアに露出して、数学に関して適当なことをぬかしても、われわれの多くは数学にくわしくないのだから、それが適当な発言だということがわからない。社会学はそうはならないのである。加えて、言葉というのは社会的なものといえるので、「社会学者としての発言」と「一般人としての発言」の区別は非常につきづらい。

自分が専門としているトピック以外のコメントを求められ、曖昧なコメントをしてしまうことが、社会学への不信につながるのだろう。

さらに最悪なのが、そのようなときにした発言が炎上するような場合である。某古市氏がたまに炎上しているのを見るが、そうなると、社会に詳しい学者のはずなのにこんな幼稚な発言をするのか、社会の何をわかっているんだと思ってしまうのもうなづける。逆に、自分が専門でないことにコメントを求められ、炎上してしまう人に同情してしまう自分もいる。まあ自分の専門以外でメディアに露出しなければいい話だと思うけれど。

とにかく、社会学者は社会のことを何でも知っている、という思い込みのようなものは、社会学の評判を下げている要因の一つだと思う。ただそれは受け取る側が悪いというわけではなくて、「社会学者」としての出演を依頼するメディアであったり、それを受け入れる学者の側が悪いのではないかな、と思う。テレビに出ている専門家はあまり信用できないよ、と、大学生なら一回くらい教授に言われたことがあるのではないかな、と思うのだけれど、社会学者もそれは例外ではないんだと思う。

 

SNS社会学

最近はSNSを利用する学者も増えてきたけれど、これもまたとても厄介なものだなあと思う。Twitterでは、趣味についてツイートする社会学者も多いけれど、それも社会学と結びついてしまうから、安易なツイートはできないのかもしれない。

また、Twitterはだいぶ利用者の考え方が偏っているツールだと思う。レイシズムは平然と肯定されることがあるし、右派がとても多い。新しくTwitterを始めた人も、その雰囲気にのまれやすい。だから、多くの人が是と言っていることは、考え方が偏っているとしても是になる。だから、社会学者が言っていることがあっていても、社会学=胡散臭い学問である、という空気がTwitterに醸成されていれば、炎上することだってあるのだと思う。そして、社会学者が炎上することで、社会学はやはり良い学問ではないという考えが再生産されていくのだと思う。

あと単純に、炎上しているような人のほうが目立つ。本当に学者なの?ってレベルでくだらないツイートをしている人が炎上しているのをたまに見かけるけれど、炎上しているということはある程度拡散されるということでもある。しょうもないツイートのほうが悪目立ちしやすいのだ。それで社会学への印象はさらに悪くなる。

 

権威主義的な学問としての社会学

今までは、どちらかというと、社会学が取り巻く環境という視点から、社会学が好まれない理由を考えてきた。ただ、社会学の内部にも、そのような原因は存在すると考えられる。

それが権威である。社会学は研究対象が広いため、研究対象がかぶることが少ない。だから、行なわれた研究がのちにアップデートされることはないのだと思う。そのため、一度目まぐるしい研究を行なった学者の権威はそのまま確立される。だから、その学者の考え方が知らず知らずのうちに再生産され、新しい研究が生まれにくくなっているのではないかな、と考えたりもする。

 

こんなようなところが、今私が考える中での、社会学が嫌われがちな原因なのかなと思う。でも、私の中では、社会学はとても楽しい学問だと思う。最後になるが、文系が軽視されがちな日本社会において、社会学の印象が少しでも良くなることを願っている。